「読書環境の違い実感」岩手日報No.712号

 ケニアにいる時は読みたい本を探すにも本屋がナイロビ市内では限られており、日本語となるとナイロビ郊外にある日本人学校や日本学術振興会の図書室から借りることが多かった。

 オランダに戻ってきて助かるのは、公立図書館が充実していること。借りられる本の多くは英語やオランダ語ではあるものの、年会費37.5ユーロ(およそ6000円)で 最大20冊まで借りることができる。オンラインでの検索や本の予約、映画の名作シリーズ(DVD)のレンタルなども可能である。

 盛岡市内でも県立図書館が昔は内丸にあり、茶畑の実家から自転車で気軽に出かけて、新聞を読んだり本を検索したりしたのだが、現在は盛岡駅西口に移転してしまい、簡単に通えなくなったのが残念だ。

 ケニアからオランダに戻って気がついたのが、住居地の一角に古本の青空文庫が増えていること。英語や他の言語の本も置いてあり、鍵もついておらず気軽に読み終えた本を預けたり、面白そうなタイトルの本を持ち帰ったりするようになった。

 料理の雑誌や観光ガイドブックも置いてあったりして、本の回転は結構早い。電車の駅構内や、図書館の一角にも青空文庫コーナーが設置されており、循環型社会がオランダでも機能していることを実感する。

 ちなみに、デジタル化が進んでいる昨今、日本では青空文庫といえば、“誰にでもアクセスできる自由な電子本を、図書館のようにインターネット上に集めようとする活動”ということで、ネット上での電子本を対象にする動きがある。しかし、本はやはり紙で読みたくなるし、年配の方々もタブレットで読むよりは馴染みのある古本の方がしっくりくるのでは?と勝手に勘ぐっている。

 オランダと日本が違うのは、本の大きさ。日本では文庫本や新書のようなこじんまりとして手に収まる大きさが主流だが、オランダの場合いわゆるポケット版でも文庫本の倍くらいの厚さと大きさになることから、屋外の青空文庫に預けておける本の数は自ずと限られる。

 つくづく日本の本は携帯向けにできているなあと気づいたところでもある。

「読書環境の違い実感」岩手日報No.712号
「読書環境の違い実感」岩手日報No.712号

101人執筆 本県へ発信

連載16年 56ヵ国・地域伝え700回

 本紙連載企画「世界は今 県人リポート」は25日付で700回となった。16年間で56カ国・地域の101人が執筆。各地で活躍する本県出身者、ゆかりの人が生活習慣や食文化、現地のニュースを紹介し、海外から見た岩手や日本という広い視点を提供している。

 連載は2008年4月12日付、中東レバノンの古川智子さん(盛岡市出身)の寄稿でスタート。アジア、北中南米、欧州、アフリカ、オセアニアと世界各地からのリポートを写真付きで掲載してきた。

 最多は清水正さん(58)盛岡市出身の48回。09年以降、米国、ペルー、キルギス、オランダから発信し、現在はケニアにいる清水さんは「700回は私にとっても大変うれしい節目。いつも読者の皆さんに励みの言葉をいただきありがたい。これからもいい記事を書き続けていきたい」とコメントを寄せた。

 米大統領選、トルコ大地震、航空機墜落事故など災害や関心の高いニュースの際には緊急寄稿、特別寄稿も掲載。安倍晋三元首相の銃撃事件への反応、新型コロナウイルス禍への対応も伝えた。東日本大震災発生後は県民へ温かいメッセージを届けた。

「地域に開かれた幼稚園」岩手日報No.703号

 ケニア西部で母子保健サービスの向上を目指して地道な活動を長年継続している日本の法人団体であるHANDS (Health and Development Service)を今回は紹介したい。2001年にNPO法人として認定され、パプアニューギニアの山岳地帯やシェラレオネの農村部の支援。ケニアでも西部の ケリチョー郡を中心に2005年から乳幼児の栄養改善を目指して郡政府、特に教育省や農業省をうまく巻き込んで参加型のプログラムを実施してきている。

プレイサークルのおやつの時間を前に手を洗う親子
プレイサークルのおやつの時間を前に手を洗う親子

 国際協力機構(JICA)ケニア事務所で食と栄養改善分野を担当することになり、JICAのスキームの一つである草の根技術協力事業に採択されたHANDSさんのプロジェクトにも関わることになった。昨年3月に初めて訪問した活動地域のケリチョー郡は、人口が約90万人。農業が盛んな丘陵地帯で、高地で紅茶、低地ではサトウキビなど多くの換金作物が栽培されている。プロジェクト総括の八木さんに現場を案内してもらい、対象となる幼稚園での給食事業や、地元に根付いて活動する保健ボランティアを対象とした家庭菜園の1日研修を見せてもらった。研修が始まるまで校庭の木陰に陣取って周りを眺めていたら、教室の窓越しから制服を着た子供たちがこっちをじーっと見つめていることに気づいた。

 風がスーッと吹いてきて清々しい気分になり、ふと、昔ネパールの山道の休憩所でお茶を飲んでいた時に似たような懐かしい雰囲気が、ここケニアでも感じられる。

 そして今年2月同郡を再訪する機会を得た。所管しているJICA東京センターの2名の現地視察に同行。プレーサークルという新しい取り組みを見せてもらったり、小学校で菜園に取り組む先生や子供達との交流を深める機会があった。

 農村部では、乳幼児の成長に欠かせないタンパク質や各種ビタミンなどの最低限の摂取が緊急の課題だ。農業省の指導員による技術指導に加えて、保健ボランティアとの連携、そして教育省の管轄である幼稚園や小学校を対象にした、横断セクター的な取り組みがどうしても必要となってくる。

 得てして縦割り行政となりがちな途上国において、現地の人とうまくコミュニケーションを取り、いろんな人たちを巻き込んで活動を続けているHANDSの2名の日本人駐在員の仕事ぶりは見事なもの。1月からは昨年10月に帰国したばかりの元協力隊員、栄養士の大野久美子さんがプロジェクトで働くこととなり、心強い。活動期間はまだ2年強あるこのプロジェクト。今後が楽しみだ。

ケニア | 特定非営利活動法人 HANDS

「地域に開かれた幼稚園」岩手日報No.703号

ボツワナ種子センター4名の研修報告発表会(ケニア森林研究所にて)

ボツワナからの研修員受け入れ

 アフリカ南部のボツワナは、日本人にはあまり馴染みの無い国かもしれません。旧宗主国はドイツでカラハリ砂漠があり、ダイアモンドなどの地下資源に恵まれている国で、実はJICA事業や協力隊員派遣も行われており、森林分野でもこれまでいろんな事業が実施されてきています。その一つが、「マスタープラン策定を通じた森林・草原資源の保全と持続可能な利用のための能力強化プロジェクト」[1]で、カウンターパート4名(ウチ女性1名)が、林木育種分野での研修のため、ケニア森林研究所(KEFRI)で1月初旬から3週間の予定で苗畑管理や長根苗育成、現場視察(キツイ郡等)に取り組んできました。ケニア側はそれぞれの専門研究者が部門別に丁寧に接してくれたようで、研修修了式(1月26日)に会った時はとても満足気に感想の述べてくれていたのが印象的でした。ボツワナはケニアよりも乾燥地が多く、植林を推進するのも一苦労で、特に放牧されている家畜対策に苦心しているとのこと。いつか訪問してみたい国の一つです。

「安全な水を届けたい」岩手日報No.697号

 安全な水の確保は、SDGs(持続可能な開発目標)のひとつにも掲げられる重要な課題だ(目標6の「安全な水とトイレを世界中に」)。言い換えれば、世界にはまだ安全な水を手に入れることが困難な人が多くいる、ということに他ならない。いまだに世界の約20億人が清潔な水にアクセスできず、アフリカ大陸でも人口のおよそ5割が毎日の生活用水確保に苦しんでいる。

2018年4月にプロジェクトで設置した深井戸の手押しポンプを継続して利用している地元女性とその家畜たち(トゥルカナ郡西部・ウガンダ国境付近)
2018年4月にプロジェクトで設置した深井戸の手押しポンプを継続して利用している地元女性とその家畜たち(トゥルカナ郡西部・ウガンダ国境付近)

 ケニアでも地方によっては、近くに安全な水源が無いため、家畜とかも寄ってくる川沿いの濁った水を止む無く使っている住民や、学校に通う前に1時間以上かけて水を汲みに行く女生徒など、問題は多様だ。

 日本に住んでいると、蛇口から飲み水がほとばしり、水はあって当然のように思えてしまうのだが、ケニアでは生活用水の確保のみならず、水質も大きな問題となっている。また、衛生に関する知識が乏しいために、水に関する啓発や教育もまた非常に重要な課題となっている。新型コロナウイルスのパンデミックを機会に、手洗いが世界で改めて見直される契機になったことも記憶に新しい。

 「少しでも多くの人に、安全な水を届けたい」という願いも込めて、JICAケニア事務所では、これまでも地方給水プロジェクトで深井戸(100メートル以上掘削しないと良質な水が見つからないこともある)を設置してハンドポンプを導入したり、北部のトゥルカナ郡では深井戸の周辺に家庭菜園を導入して、そこで収穫した野菜を学校給食に使ってもらって食と栄養改善に努めるといった活動も支援してきている。

元々ハンドポンプだったところを太陽光発電のモーターポンプを設置して便利になった井戸(ケニア東部・キツイ郡)
元々ハンドポンプだったところを太陽光発電のモーターポンプを設置して便利になった井戸(ケニア東部・キツイ郡)

 アフリカ地域では近年、太陽光発電が急速に普及した。坂本大佑JICA専門家によると、給水施設についてもハンドポンプから太陽光発電による電気のモーターポンプへと切り替えるニーズが高まってきている。これにより、井戸を利用する住民たちからは、水汲み労働が軽減されたという喜びの声も聞かれる。

 地域の人々が生活をする上で切り離すことの出来ない安全な水の確保は、気候変動による影響を大きく受けていることを実感するこの頃だ。これまでは、乾燥地とはいえ、天水農業で農業生産も自給レベルなら持続出来ていたのに、近年の干ばつで天水農業が全く成り立たなくなり、壊滅的な状況に陥る脆弱な地帯がケニア国内でも増加傾向にあることは、国家レベルの問題となっている。

 9月に実施されたアフリカ気候変動サミットでも水問題が 重要な課題の一つとして取り上げられていた。地方給水という分野は、地道な仕事ではあるが、水問題に取り組む専門家やコンサルタントの方々への後方支援をこれからもきちんと続けて、地域住民の水問題解決に役立てるよう取り組みたい。

「安全な水を届けたい」岩手日報No.697号

ケニア山周辺トレッキング (2023年11月3〜6日)

 ケニア最高峰は5000mを超える(Batian;5199m)のですが、通常はLenana峰と呼ばれる4985mの登頂を目指してツアーを組みます。今回のメンバーはテニス部の4名で、リーダー格の吉田さんだけが経験者。篠崎夫妻はほぼ初心者、私はしばらく本格的な山登りから遠ざかっていたロートルというメンバーでした。それぞれがプレ山行(篠崎夫妻はLongnot山、私と吉田さんはSatima山にそれぞれ出かけました)を行い、当日に備えたのです。

 今回の山行ガイドは吉田さんが前回お世話になったクリスさん。ナイロビ市内を朝6時過ぎに出発ということで、国連近くのガススタンドで待ち合わせ。迎えにきた車は、走行距離がまだ2500キロの新中古車のトヨタ車で、幸先がいいなあと思えました。しかし、北上するにつれ、雨足が激しくなり、ポーターとかを招集するChogoriaに到着した時はどんより雨雲が漂っていました。ここからはジープに乗り換えて山道を入る予定でしたが、予定しているジープが他の登山客を迎えに行っていて、どうやら立ち往生しているとの連絡。仕方ないので近くのレストランに入って軽くお昼ご飯を食べながらジープの到着を待つことに。

 そうしているうちに雨が上がって空が晴れてきたではありませんか!ラッキーと思い、オンボロでヨタヨタのランドローバーに乗り込んで出発したのが午後1時過ぎ。キャンプ場には4時くらいに着けそうだと楽観視していたのですが、実はこのポンコツイギリス車は馬力が出ないのです。乗客も9名のポーターや我々4名、そして荷物を含めるとかなりの重量で、途中でエンコしてしまうというオチがつきました。仕方なく、日本人4名とガイド(クリスさんは急遽ナイロビに戻ることになり、別のガイドが同行)と一緒にナイロビから乗ってきたトヨタ車に乗り込んでぬかるんだ道を上って行くことになりました。この道路は林道みたいになっており、22km先にキャンプ場があるとのこと。ゆっくり車が上っていたところ、別のランドローバーが反対から下りて来て、ポーターたちを搬送できそうだとなったので、とりあえずホッとしました。12km進んだところで、トヨタ車を降りて、身軽な我々は歩くことに。これからが意外と大変でした。雨が降り始め、道も結構急登。ゴアテックスの雨具がある私と違って、篠崎夫妻は、ナイロビ市内のスポーツ店で購入した廉価な雨ガッパ。休みながらようやく1泊目のキャンプ場に着いた時はヘトヘトでした。

 実はポーターたちは先に車でキャンプ場入りしており、我々のテントも張っておいてくれたのですが、よく見ると木造のロッジが立ち並んでおり、ガイドに聞くと空室があるというので、値段も聞かずに2部屋確保してもらいました。これが実は大正解。暖炉もあり、なんと温かいシャワー(ドラム缶と薪で温めている)が出るので、篠崎夫妻は大喜び。夕食もシェフが張り切って作ってくれて、野菜ポタージュに、ジャガイモと魚フライに野菜の付け合わせという、身体が温まるメニューでホッとしました。初日の夕食時に旦那の篠崎さんは、実は野菜嫌いだということが分かり、これからの道中もどうなるのか不安でしたが、お腹が減れば出されたもので対応するしかない!ということが後々分かって来たのでした。

 やはりケニアの雨季に登山を企画したのは無謀だったかなあ、と少し反省しつつ翌日の天気が良くなければこのロッヂに連泊(停滞)して、ナイロビに戻ることも検討していたのです。2日目は、早朝4時には雨が降っていたのですが、朝ごはんを食べた頃から、なんとスカっ晴れ。ポーターも気分良く登り始めて、我々も同行することにしたのでした。雨のため、川が増水していて橋が水面下だったことから、靴を脱いで渡渉したのが1箇所。その他は全く問題なく、標高3450mにあるEllis湖の湖岸に2日目のテントが設置されたのでした。ポーターは釣りを許可無しでも出来るということで、いつの間にか2匹のニジマス(30cm強)を釣り上げて、そのうち1匹が唐揚げで夕食の一品として出てきました。焚き火をしながら天の川を眺めて、本当に晴れてくれてありがとう!と感謝の気持ちで一杯になりながらテントと寝袋で2泊目を過ごしました。

 しかし、天候に恵まれたのはこの2日目のみ。3日目はベースキャンプとなるMintoHutを目指したのですが、朝10時以降から霧雨となり、黙々と登ったのです。標高4200mにあるキャンプ場にはトイレとポーターたちのキッチンがあるのみ。テントを張ってその中で過ごすことになり、高山病が出ないかどうか不安になりながら夕食を食べたのでした。野菜嫌いな篠崎旦那も、この日は野菜スープを文句を言わずに食べ、翌日の登頂に備えていたのですが、奥さんが少し頭痛があると訴え、天気もあまり期待できそうになかったので、今回はLenana峰登頂を断念するということで、ガイドに相談にしたところ、同意を得たのでした。

 そして、4日目。朝3時に起きて出発ということだったのですが、雪が降り始めテントにもどっかり湿った雪が積もってしまう状況となり、無事ここを脱出して下界まで行くことを優先させようとなりました。雪道はなかなか上りも下りも大変で、靴があまりしっかりしていない篠崎夫妻は、えらく苦労したのですが、4620mのSimba峠に着いた時は、眼下にMackinder渓谷が広がって見えてホッとしたものです。時折日が差して、ケニア最高峰であるBatian峰の頂上も眺めることが出来ました。遅い朝ご飯をShinptonキャンプ場で食べたのが10時すぎ。ここまで降りると天気も良く高山病にも悩まされることなく、下山を進めることが出来たのですが、迎えの車が来ているMozesキャンプ場までは登ったり降りたり、ぬかるみの湿地帯で足を取られながら進んだりと、結構苦労しました。同じトヨタ車に乗って舗装道路に出た時は、疲れがどっと出たものです。かくして4日間のトレッキングは無事終わって何よりでした。ケニアの大自然と綺麗な植物(高山植物は見事です)を堪能した貴重な体験となりました。

スーダン出身の画家・展示会

 ナイロビ郊外の元コーヒー農園だったところに、OneOffという画廊があり、これまでも2回ほど訪問したことがありました。木々に囲まれて、庭には彫刻物やガラス細工、リサイクル物品による造形作品などが飾られており、芸術村みたいな雰囲気です。当日ムランゴ農園に行く途中に、立ち寄ってみたところ、オープニングで画家も午後に挨拶に来るというので、農園の帰りにもう一度寄ることにしました。

 画家ラシッドさんは、スペインのマドリッドで美術の博士号を取得後、地元のスーダンで画廊を営んで、若い画家とかの育成にも励んでいたのですが、今年4月のスーダン動乱で軍隊に自宅を占拠され、作品などもほとんど持ち出すことが出来ないまま、スペインに逃げたという激動の毎日をくぐり抜けてきた方です。ケニアでも以前に展示会を実施しており、韓国にも招待されたことがあり、「日本でも展示会を実施したいけど、だれか紹介してくれないか?スーダンにいる時はJICAスーダンの事務所にも懇意にしてもらっていた」などなど、接客で忙しい中、色々と話すことができたのが何よりでした。

 今回の展示はスペインとケニアで書きあげた最新作。作品をよく見ていると、頭上に鳥が止まっている作品がいくつかあり、平和のシンボルである鳩とはちょっと違うモチーフなので気になって本人に尋ねたところ、「鳥が頭上にいる人たちはその場所から動けない人を意味している」と言うのです。戦乱のスーダンについては本人も多くを語りたがっていなかったので、これ以上のことは聞けなかったのですが、察するに動乱下で彼のように国外へ退去できずにスーダン国内に残っている人たち(女性が多い)を象徴しているようです。スーダンはケニアとも国境を接しておらず、文化的にもアラブ圏であり、最近ではパレスチナとイスラエルの対立にメディアが集中していることから、スーダンがマスコミの話題になることは随分と減っています。これも何かのきっかけだと思いつつ、本などを通じて少しづつスーダンの歴史や政治文化についても勉強しているこの頃です。

画家ラシッドさんのウェブサイト

「干ばつ対策 広く発信」岩手日報No.692号

 日本でも酷暑となり、昔はエアコンが無くても夏には快適な暮らしができていた岩手県でも連日の暑さが今年は続いていた。実家でも今年からエアコンを設置してもらい、暑気払いをするようになった。

 ところ変わってアフリカでも気候変動の影響はいたるところで出ている。乾燥地が大陸のほぼ半分を占めるアフリカでは、住民が生活を維持する上で欠かせない水の確保が死活問題である。国際協力機構(JICA)ケニア事務所に赴任してから担当となったプロジェクトの一つがケニア北西部にあるトゥルカナ郡での水資源確保ならびに持続的な生計向上を目指して、牧畜民が多い乾燥地帯で干ばつ対策に取り組むプロジェクトであった。そもそも2011年にエチオピアなども含めてアフリカの角と呼ばれる地域で大干ばつが生じたことから、JICAも緊急援助に関わった地域で、その後右往左往を経て、現在は食と栄養改善に焦点を当てたプロジェクトを昨年3月から5年間の予定で実施中である。国連機関も様々な協力をしている。世界食糧計画(WFP)、国連難民高等弁務官(UNHCR)がそれぞれ同郡に拠点を置いて地道ではあるが不可欠な援助を現地政府とともに継続している。

 そのような中、ケニア・ナイロビで気候変動サミットが開催された。我々もこれまでの取り組みを外部のみなさんに知ってもらういい機会だと考え、同僚のグギさんとサイドイベントを企画。9月5日火曜日朝からの開催にこぎつけた。

 ケニアの事例だけでなく、アフリカ全体にも触れるということで、共催者を探していたところ、おなじくトゥルカナ郡で国連児童基金(ユニセフ)が実施している水と衛生(WASH)のプロジェクトに資金援助をしている韓国の援助機関であるKOICAが前向きに関わってくれることになった。

 本番一週間前、国連総長を務めたバン・キムン氏など20名近い外交団がこのサミットに参加するらしいという噂を聞いた。会場の下見をした際には在ケニア韓国大使が説明を聞きに部下を5名ほど連れて参加来ていた。

 当日は、朝9時からの開始にも関わらず120名定員の会場がほぼ満席となり、JICAケニア事務所長が開会、韓国外務省副大臣(気候変動対応)が閉会の挨拶を行い、会場からも多くの質問があるなど盛大に終わることができた。

 今回のサミットには、各国代表団や、米国ケリー大統領特使やウルズラEU委員長、国連グテレス事務総長なども出席し、最終日にナイロビ宣言が出された。宣言はアラブ首長国連邦(UAE)で開催予定のCOP28におけるアフリカ地域の対外交渉の基本スタンスとして位置付けられている。

 そんなこんなで無事サミットも終わり、また現場の仕事に専念しようと思っているこの頃である。

盛岡ネタを2本

朝日新聞の記事
2023年2月27日朝日新聞

 このウェブサイトの名前にも関係しているのですが、私の両親は盛岡出身です。盛岡というと、時々「ああ、青森ですね」と言われたりしていました。盛岡は岩手県の県庁所在地なのに知名度が低いなあといつも思っていたものです。ところが、友人から「今年行くべき52箇所」でロンドンに次いで盛岡が2番目になったという朝日新聞の記事が送られてきてビックリ。地元に住む妹に電話で聞いてみたら、「なんか実感ないのよねえ」と言われて、こちらもまあ、そんなもんだろなあとつくづく思っていたのですが、友人等にはこの朗報をメール等で共有した次第です。

 実は、私の妻(オランダ国籍)はもう盛岡に足を運ぶこと30年以上で、「盛岡は田舎よねえ、仙台の方が楽しいのに」と言いながら帰盛する度に愚痴をこぼすのが若干悩みでもあります。私自身、盛岡には住んだ事がなく、中学と高校は青森市内で過ごしたので、幼馴染みがいる訳でもなく、知り合いは協力隊時代の同期や先輩隊員くらいという土地です。でも、この朝日新聞の記事にも書いてあるように、いろんな魅力があるなあと、この歳になって気がつくようになってきました。

 盛岡近郊には温泉が多くあり、岩手富士と呼ばれる岩手山が街中からどーーんと遠望できる。麺類もジャジャ麺、冷麺、そしてワンコ蕎麦と豊富な種類があり、観光客にも人気が高いです。クラフトビール屋もいくつかあります。妹が電話でチラッとこぼしていたのですが、「もう少し宣伝が上手ければ、盛岡も知名度も上がるのにねえ」と。確かにNYなどと比較するのはお門違いでしょう。でも自家焙煎のカフェも市内に幾つかあるし、美味しいお菓子や日本酒も豊富。そんな渋い街なのかもしれません。やっぱり盛岡は、あまり観光客で溢れないくらいの知名度が分相応なのかもとここケニアで考えたりしている昨今です。

 そして、盛岡ネタをもう一本。作家の 沢木耕太郎が『天路の旅人』を完結させ、出版されているのですが、冒頭部分の取材過程がネットで読めるようになっています。そして、主人公である西川一三さん(『秘境西域八年の潜行』の著者)は西藏放浪後、日本に帰国してから、一商人として盛岡で人生を終えたと言うのです。今度帰盛したら、その足跡を追ってみたいと思っているところです。

https://www.shinchosha.co.jp/book/327523/preview/

 生前の西川さんと仲が良かったのが、元読売新聞社の記者で、40年以上前1979年9月から地平線通信を毎月発行している江本嘉伸さんです。私も知らなかったのですが、2022年11月の地平線通信に、江本さんによる「天路の旅人」の紹介があることを、大学の大先輩である梶光一さん(農工大名誉教授)から教えてもらいました。念のためお知らせします。

http://www.chiheisen.net/home.html

 ケニアにいて、チベットのことに想いを馳せるのも何となく違和感がありますが、盛岡と縁のある西川さんをこの際に知ってもらえたら何よりです。

 朝日新聞の記事(2月27日夕刊)

https://www.asahi.com/articles/DA3S15567462.html?iref=pc_ss_date_article

「生活を懸け走る舞台」岩手日報No.665

 スポーツの秋、というかジャカランダの花が咲き誇る赤道直下のナイロビ市内は春めいてきて、気持ちの良い季節。ナイロビ市内では、 フルマラソンの大会が10月30日日曜日の朝に開催された。フルだけなく、ハーフと10キロそして家族向けの5キロの4つのコースが用意されており、国際協力機構(JICA)ケニア事務所からも男女合わせて26名が登録し、そのうち5名がハーフマラソンに参加した。事務所のナショナルスタッフであるギタウさんが事務局との連絡や登録、集合場所や当日の注意などをまめに行ってくれたこともあり、安心して参加できたのが嬉しい。当日は快晴でカラッとした空気が心地よく、出発前にはズンバなるダンスステージが設置されていて、賑やかな音楽に合わせて踊りつつ準備運動をするというなんともケニアらしい楽しい催し物もあり、気分が盛り上がったものである。参加者は推定でx万人ということで、公共の駐車場も満員、我々はウーバーというタクシーで出かけたのだが、行きも帰りも混んでいてかなり待たされた。

ナイロビ市内で開催されたマラソン大会
ナイロビ市内で開催されたマラソン大会

 この11月はサッカーのワールドカップがカタールで開催され、日本も参加することから盛り上がりつつあるが、ケニアは残念ながら予選を勝ちぬけなかったので、サッカーに対する関心が低いような気がする。一方で、マラソンは男女とも世界有数のレベルで、ケニア西部の高原地帯を中心に世界のトップランナーを強化・育成するキャンプが増えており、日本の大迫選手も練習していることで知られている。

 また、男子の世界記録保持者であるエリウド・キプチョゲ選手(37歳)は、オリンピック2連覇をしており、今年9月のベルリンマラソンで自身の持つフルマラソン世界記録を30秒更新する2時間1分9秒で優勝したことから、 公認レースでの2時間切りが期待されている。貧しい環境で育つケニアの若者たちにとって、キプチョゲ選手は憧れの存在であり、ケニア人にとってマラソンを走ることは仕事だという位置付けが強い。そんなハングリーな選手たちに、他の国のマラソン選手が勝つことはなかなか難しいのではないか?とすら思える。国内外で開催されるマラソンは、ケニアのマラソン選手にとって大会での賞金を目指す生活をかけた大事な舞台とも言える。今回のナイロビマラソンでは、フルマラソンの選手がゴールの会場に走りこんでくるところを見物していたが、すらっとして8頭身というか、足が本当に長い。カモシカのような走りとはこんな選手たちのことを言うのだろうなあ、と羨ましく眺めた後で、自分たちも5キロのコースに向かったのであった。

 大会のスポンサーは環境配慮から終了地点に無料の苗木配布コーナーを設置しており走り終わったランナーたちが苗木を持ち帰っているのが印象的だった。

「生活を懸け走る舞台」岩手日報No.665