「日系人社会 ペルー」岩手日報No.153
2012年2月5日
昨年11月、3年間勤務したワシントンを離れ、国際協力機構(JICA)の仕事で、南米ペルーで働いている。
着任し3カ月がたとうとしているが、距離的には離れているものの日本を身近に感じる毎日だ。首都リマでタクシーに乗ると「昔、日本で働いていた」という運転手に出会った。違う運転手は、演歌のCDを取り出して車内でかけてくれた。
すし店や日本食レストランもワシントンより充実している。今や国際的に有名になった板前のNobuさんも、その昔リマ市内の日本食レストランで修行していたそうだ。
親日的な国だが、100年以上前に移民として日本から太平洋を渡ってきた先人が苦労した足跡も見られる。
リマ市の日系人社会は、ブラジルのサンパウロに次いで2番目に大きいといわれる。第2次世界大戦中は、ペルーが親米であったため、強制送還された日本人家族も多く、ペルー政府による財産没収もあったそうだ。
日系の1世や2世が苦労して開設したものの一つに、ラ・ウニオン運動場がある。大戦後の日系社会復興のシンボルともなったこの運動場は、募金活動や土地購入手続きなど数々の困難を乗り越え、現在は会員制のスポーツクラブとして、ペルー日系社会の中心施設となっている。
サッカーや野球、バレーボール、プールなどのスポーツ施設が充実し、誘われて私も週末にテニスをするようになった。クレーコートが5面あり、なによりひざに優しいのがうれしい。
運動場の敷地内には通称ラ・ウニオン校という小中高一貫の学校がある。ペルーのオジャンタ・ウマラ大統領は、この学校の卒業生だ。昨年7月の学校創立40周年の記念式典には、日本大使夫妻とともに参加している 。
ラ・ウニオン校は日系社会の教育の中心として大きな役割を果たしており、学校の生徒の多くが、ラ・ウニオン運動場の会員となり、放課後にはそこでスポーツをしている。12月末から3月初めまでの長い夏休みには、サマーキャンプを開催。空手や折り紙、日本の文化紹介など文武両道の充実したカリキュラムには日系人のみならずペルー人も参加している。この1月からは私の2人の息子も出席している。
今後もアンテナを高くし、ペルーのことを岩手の皆さんに紹介していきたい。
