ケニア西部ニャンド河流域への出張(11月16−20日)
2021年12月3日
ケニア西部は、世界で2番目に大きい淡水湖のビクトリア湖があり、いつか観光で行けるだろうと思っていたのですが、今回仕事で出かけることが出来、ケニアの別の顔を見ることが出来ました。普段は乾燥・半乾燥地帯での仕事が多く、ナイロビ周辺や北部の観光地を訪問する以外は、緑が豊かな地方にあまり行く機会がなかったのですが、今回の地域は河川氾濫とビクトリア湖の水面上昇の板挟みになっている西部地域。アヘロという街では稲作が盛んで、ちょうどお米の収穫時期だったので刈り取りシーンとかを車の窓から眺めていました。
10年前に日本政府の無償事業で建設された洪水時の避難センターや井戸、共同トイレ、Culvertと呼ばれる排水渠の利用状況やその時に組織化された住民洪水対策グループの現状を、現地訪問しながら調べて行くという、事後評価に今回参加させてもらったのです。施設は洪水対策として土台を1メートルほど高く建設しており、床上浸水にならないように設計されています。避難センターは診療所や託児所として普段は使われているものの、いざ洪水で自宅が浸水した場合(今でも年に1度ほどあるとのこと)には、住民が2−4週間ほど避難してくるということで、本来の目的を達成しているものだ感心しました。残念なのは、共同トイレの汚水タンクのコンクリ壁が崩れているところが多く、修理もできないまま放置されていて、洪水の時には溢れ出てしまうということ。井戸も、住民や学校で修理管理している地区もあったのですが、手押しポンプが壊れたままのところもあり、住民組織による維持管理の難しさは、乾燥地だけではないのだと改めて思いました。西部地域は降水量も豊富で、果樹や野菜栽培も盛んなところから、人口密度も他の地域と比べて高く、活気が感じられます。
Migoriというタンザニア国境に近い州では、洪水対策の技術協力プロジェクトがこの無償事業終了後に3年間(2011−2014年) 実施され、今でも活動を続けているグループを訪問してきました。地方政府などからも細々と支援を受けているものの、JICAのプロジェクトが終了してからも、 気象情報収集や上流および下流との洪水警報のやり取りを続けており、他のドナーからも支援を取り付けて、果樹(パパイヤやマンゴー等)や早生樹(モリンガ等)の苗畑作成、洪水時に溢れないような弁がついたSATOと呼ばれる青いプラスチックの便器(一つが700シリング:凡そ700円)の販売促進などをグループのメンバーが展開しており、地域に根付いた活動を地道に続けている姿を見て、嬉しくなりました。また、女性の協力隊員がこれらの活動も手伝っていたようで彼女の活躍ぶりを楽しそうに話してくれる住民を見て、こういう日本の援助は決して無駄になっていないのだなあとホッとしたものです。またリーダー格の年配の男性が、会議の司会をしつつ、若手の書記や子供を抱えた女性にも発言の場を与えるように気を遣っており、組織が上手く回るのはこういう村の長老たちの気配りと丁寧なリーダーシップが不可欠なのだと思いました。地方分権化が2013年から進んでいるケニアでは、住民組織化が開発援助を考える上でこれまでも大きな課題の一つで、これからも取り組んでいくことになるのだろうと思っていたので、いい事例を知る貴重な機会となりました。