三宅一生の仕事を考える
2025年6月6日
ふと偶然にユトレヒト市内の本屋で手にしたのが、英語と日本語のバイリンガルで書かれた『Issey Miyake 三宅一生』

これまで包括的に彼の作品や思想、背景を説明できるメディアがなかったからまとめたとイントロに書かれており、座って小一時間じっくり読んでみました。グラビア系が得意なTaschenから出版されており、編集者が北村みどり 、著者がMUJIの小池和子、写真が高木由利子という豪華陣。30センチ四方のずっしりした本で、値段は49.99ユーロでよっぽど買おうかと思ったがひとまず保留しています。横尾忠則とのコラボのポスター、TEN(点)、SEN(線)、MEN(面)のファッションショーのコンセプト、東北大震災の時に、青森大学体操部とコラボしたエピソード、出身が広島で、自分自身も被曝経験者で、同じく被曝した母親を若くして亡くしてしまったという生い立ちなど、改めて国際的に活躍する凄い日本人だなと感心してしまいました。
この3月中旬から6月までの予定で、東京の六本木にある国立新美術館で「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」展が開催されています[1]。御年77歳でまだまだ現役の世界のMIYAKE ISSEY。多摩美術大学在学中の1960年に日本で初めて開催された世界デザイン会議が開催された時に、 三宅氏は、衣服デザインが含まれないことに疑問を持ち質問状を送りました。その主張は、「衣服は時代と共に移ろう『ファッション』として存在するのではなく、より普遍的なレベルで私たちの生活と密接に結びついて生まれる『デザイン』であるという」思想でした[2]。
一方で「原爆を生き延びたデザイナー」といったレッテルを張られるのを嫌い、「いつも広島に関する質問は避けてきた」と、米ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿(2009年7月)した記事で述べているのは意外でした。オバマ氏が「核兵器のない世界」を訴えた同年4月のプラハでの演説に触発されたというのが寄稿した動機とのこと。個人的には、核兵器のみならず、原子力発電もない世界が実現して欲しいと願っているのですが、ご時世は逆行しているように思えてならない。そんなことを考えさせてくれた一冊でした。
(オランダ通信 2016年3月号 *2016月3月31日発行から)
出版情報:ドイツの出版社TASCHEN (2016)